創作活動で他人と比べても悩んでもいい
自分のイラストを他人と比べて技術の差に落ち込んだり、いいね数にガッカリしたり。
ただ純粋に創作活動を楽しめればいいのに―――
作家の悩みは尽きないですよね。
このように、誰かになにかをされたわけではなく、自分の中でモヤモヤを作ってしまう系の悩みは「他人と比べないこと」が一番です。これまでに当ブログでもそのような趣旨の記事を書いてきました。
実際、他人と比べずにいられると気持ちがラクになるのでオススメです。
ですが最近、
「他人と比べてもいいのかも?」
と思ったので、この考えを綴りたいと思います。
- イラストなどの創作活動において他人と比べて落ち込んでしまう
- 他人と比べないことが大事だとわかっていてもどうしても比べてしまって辛い
なぜ、人は他人と比べるのか
人はなにかにつけて周りと比べています。
なぜでしょうか?
日本の教育スタイルが競争的だから〜とか、
情報化社会で周りが目につきやすいから〜とか、
多分そういう影響もあるでしょう。
ですが、それらの影響を抜きにしても、人は他人と比べることを半ば反射的にやってしまうのだと思います。
私が”私”としてこの世界に降り立ったときから、もうそのゲームは始まっているのでしょう。
他人と比べて自分を知っていく。
これこそが私たち人間が他人と比べる理由です。
自分を知るには相対的に見ていくのが一番わかりやすいんです。
たとえば、
- 「私はあの人より声が低いけど、この人よりは高いな」
- 「あの人より私は大人しい性格だな」
- 「あっちのジャンルよりこっちの方が私は好きだ」
など。
それは絵にも言えます。
- 「私はあの人の描く絵よりも、もう少しあざやかな絵の方が好きだな」
- 「私は周りの絵師と比べるとリアル寄りな絵を描くのが得意だな」
など。
無意識に周囲の人と比較しながら、自分の特徴・性質・好みなどなど、あらゆることを知っていくんです。
人と比べていい!だって〇〇だから
自分を知るために他人と比べる必要があるなら、
私はそれ自体は悪くないのではないかと思います。
だって、自分を知ることは面白いから!
- 「なるほど、自分ってこういう人間なんだ!」
- 「こういう絵が好きなんだ!得意なんだ!」
自分に対して発見があると「じゃあその強みを伸ばしていこうかな?」「もっとこうしてみたい!」と自己成長や自己表現にもつながっていきますね。
反対に、自分を知ることのできない状況は退屈です。
自分を知れない状況とは、相対的に比較する対象がないということ。
つまり、
他人のいない自分のみの世界―――
反応するものがない。
何をしても反応がない。
そんな退屈な世界では活き活きと活動することはできないでしょう。
ですが、この世界ではよほどの特例でないかぎり他人が存在します。
退屈しない刺激的な世界が広がっています。
生きる中で、あらゆる側面の自分を知ることができているはずです。
生まれたての赤ちゃんのころよりも、
今のあなたのほうが何千倍、何万倍も自分のことを知っているはずです。
それはあなたがいろいろと比較してきたからです。
注意!他人と比べる落とし穴
他人と比べること自体は悪くない。
ですが、自分を他人と比べるときに大きな落とし穴があります。
それは、
「あの人より〇〇な私はダメだ」という自己否定です。
先ほど例で挙げた「私はあの人よりも声が低い」ですが、声が低くてもダメではありませんよね。
ただ、そういう事実があるだけのこと。
ですが、ここに自分の思い込みが入ってきます。
「(女として)声が低い私はダメだ…」
こんなふうに。
自分の基準や理想からずれてしまっているがゆえに、私たちは自分のことを否定して苦しんでしまいます。
絵の話で言えば、
- 「あの人より可愛いキャラクターが描けない私はダメだ」
- 「あの人より遅筆な私はダメだ」
- 「あの人よりいいねが少ない私はダメだ」
- 「あの人より知名度のない私はダメだ」
といったように。
自分にたくさんの×をつけるのだから、そりゃ描く気がなくなってしまいますね。。
比較し、努力し、悩み抜いた先にあること
他人と比べる落とし穴を述べましたが、
まったく自己否定せずに生きることはそう簡単なことではありません。
(中にはそういう賢者もいると思いますがw)
この記事を書いてる私も、今でも周りと比べて落ち込むことはあります^^;
ですが、ちょっと苦しいこの過程も、
「もしかしたら自分にとって必要なのかもしれない」
と感じたんです。
他人と比べて、自分を知る。
その比較する過程では落ち込むこともあるでしょう。
あこがれの作家や作風と比べて、
- なんで私は〇〇さんのようになれないんだ。
- なんで私は〇〇できないんだろう。
と、たくさん悩むはずです。
そして比較していく中で、きっと努力もするはずです。
あこがれのあの人のみたいになりたい!
その努力の過程で技術を習得したり、表現を発見したりするでしょう。
……でも、あるときこう思うはずです。
「もういっか〜」と。
これは筆を折るとか、夢を諦めるとか、自己否定の諦めではありません(重要)
むしろその逆で、
「他人にはなれない。自分であること受け入れる。」
という自己受容です。
どんなに頑張っても「自分は自分以外にはなれない」と、どこかのタイミングで気づきます。
あこがれの人になれない一抹の寂しさを感じるかもしれません。
理想に届かない自分にちょっとした無力感を感じるかもしれません。
それでも頑張ってきた自分を労いたくなるかもしれません。
どんな心境になるかは人それぞれだと思いますが、
どこか力が入っていた体が緩み、ホッと一息をつけるような安堵感、これでいいという安心感、羽を伸ばせるような心地よさが心の奥にあるはずです。
この感覚こそが他者との比較を使った自己探求のゴールなのかもしれないと私は感じています。
落とし穴は自分で掘っていたと気づく
自分に×をつける基準は、じつはどれも自分で設定したものです。
生活環境や人間関係の中で、無意識に設定してしまった基準もあるでしょう。
〇〇でないと褒められない・認められない、などなど。
なんだ、自分に高いハードルを課していたのは自分だったんだ!
自分は自分のままでいいのかもしれない!
自分であることを受け入れていくたびに、落とし穴は自分で掘っていたということに気づいていきます。
また落とし穴にハマったら?
他人と比べて落ち込むという落とし穴はそこら中にあります。
一度は抜け出せても、またハマッてしまうこともあると思います。
けれど、大丈夫。
そこから抜け出す攻略方法を会得してるから。
自己受容の安心感を一時でも感じられたことがあれば、
何度でも穴から抜け出すことができます。
その攻略方法は頭で知るだけでは、多分うまく使えません。
自分の身を持って会得する必要があります。
その攻略方法を会得するために、
「他人と比べて、悩み、努力する」という過程は、
じつはとても重要で、かけがえのない宝物のような経験なのではないかと感じます。
だから創作をする人は、たくさん他人と比べて、悩み、励んでみてください。
他者と比べて辛いとき、私は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』という本に救われました。
気になる方はぜひチェックしてみてください。
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